Q1:辻政信の最終的な死因や死亡時期は特定されているのですか?
A1:遺体や決定的な物証が発見されていないため、厳密な日時は特定されていません。しかし、後年の関係者証言や調査により、ラオス潜入直後の1961年5月から1962年頃にかけて、現地の共産主義勢力(パテト・ラオまたは北ベトナム軍)にスパイ容疑で拘束され、銃殺刑に処されたとする説が最も信憑性が高いとされています。法的には1969年に死亡認定されています。
Q2:あれほど独断専行を繰り返しながら、なぜ軍法会議で処罰されなかったのですか?
A2:辻は陸大恩賜組という圧倒的な学歴と実務能力を持っていたことに加え、陸軍内部の派閥対立や有力将校(山下奉文や東條英機ら)との複雑な力関係を利用するのが極めて巧みでした。また、「皇軍の威信」を重視する軍上層部が自らの不祥事露呈を恐れ、重大な独断行為を不問にしてうやむやにする体質があったことも処罰を免れ続けた大きな要因です。
Q3:ベストセラーとなった『潜行三千里』の内容はすべて事実ですか?
A3:過酷な逃亡劇の骨格自体は事実ですが、辻政信特有の自己演出や劇的な脚色が多分に含まれていると指摘されています。自らの戦争責任や華僑虐殺事件への関与には一切触れず、東洋の平和を憂う愛国者・悲劇の英雄としての側面を強調した巧みなプロパガンダ本という側面を持ち合わせていました。