彼女たちの運命を決定づけたのは、プロデューサー奥田民生との出会いである。1996年、Epic Records Japanからリリースされたデビュー曲「アジアの純真」は、瞬く間にミリオンセラーを達成。井上陽水による不条理かつキャッチーな歌詞と、奥田民生の手掛ける奥深いロックサウンドが見事に融合した。
続く「これが私の生きる道」では、ビートルズを彷彿とさせる緻密なサウンドプロダクションが話題を呼んだ。無理に声を張らず、二人でハモるのではなくユニゾンで歌うスタイル。この革新的なアプローチが、音楽業界に大きな衝撃を与えた。
レコーディング現場での奥田民生とのやり取りは、常に笑いに満ちていたという。「適当にやっていいよ」というプロデューサーの言葉を真に受けつつも、スタジオに入れば妥協なきボーカル録りに挑む。あの気負いのなさは、計算し尽くされたプロフェッショナリズムの賜物だったのだ。