阪神での功績の後、2006年には東北楽天ゴールデンイーグルスの現場へ。新設間もない球団を立て直すため、星野氏の要請を受けて編成・育成の要職に就き、若手育成に情熱を傾けました。
しかし、その体はすでに胃がんという重い病魔に侵されていました。病状が進行し、体力を激しく消耗する中でも島野氏は現場に足を運び続け、春季キャンプでは点滴を受けながら選手たちに熱血指導を行いました。「グラウンドで倒れるなら本望だ」と言わんばかりの執念は、多くのプロ野球関係者の胸を打ちました。
懸命な闘病生活の末、2007年12月15日、63歳で逝去。告別式で星野仙一氏は遺影に向かい、人目を憚らず号泣しながら「お前がいなくなって、ワシはどうすればいいんだ」と語りかけました。その姿は、ふたりの絆の深さを象徴する光景として球界の歴史に刻まれています。