歴史愛好家やネット上の情報において、菩提僊那に関してしばしば誤認されている2つの盲点があります。一次資料の記述に基づいて検証してみましょう。
誤解1:「婆羅門僧正」とはヒンドゥー教の司祭のことか?
朝廷は751年(天平勝宝3年)、菩提僊那に最高位の僧職である「正僧正(僧正)」を授けました。これによって彼は周囲から「婆羅門僧正(ばらもんそうじょう)」と尊称されるようになります。
一部の解説サイト等で「ヒンドゥー教徒のバラモンが日本の仏教界トップになった」かのような記述が見受けられますが、これは完全な誤解です。彼自身は純粋な仏教出家者であり、「インドのカースト制における最高位(バラモン階級)の出身でありながら、仏門に入って大成した高貴な僧侶」という意味で敬意を込めて呼ばれた肩書でした。
誤解2:役目を終えてインドへ帰国したのか?
華々しい活躍ののち、菩提僊那が祖国へ帰還したと思っている人も少なくありません。しかし、彼は一度も日本を離れることなく、この地で生涯を終えました。
760年(天平宝字4年)2月25日、菩提僊那は大安寺において57歳で入滅(示寂)しました。臨終の際、西(天竺・仏の浄土)を向いて合掌し、静かに息を引き取ったと『続日本紀』に記録されています。遺骸は弟子たちによって平城京の西方、登美山(とみやま / 現在の奈良市富雄近郊・霊山寺の裏山付近)に手厚く葬られました。霊山寺周辺には現在も菩提僊那の供養塔が静かに佇んでおり、大安寺の境内とともに、異国の地で骨を埋めたインド僧の気配を今に伝えています。