徳川家康家系図をわかりやすく俯瞰する際、最も重要な前提は「徳川宗家の歴史は、純粋な一本の直系男子のみで受け継がれたわけではない」という歴史的現実です。264年続いた江戸幕府において、将軍の直系男子が次代へ無事にバトンを渡せたケースは決して多くありませんでした。
家康から始まった将軍職は、秀忠、家光、家綱、綱吉、家宣、そしてわずか8歳で急逝した7代家継へと受け継がれます。しかし、ここで秀忠以来の男系直系は完全に断絶。この絶体絶命の危機を乗り切るために家康があらかじめ配備していた安全弁こそが、尾張・紀州・水戸の「徳川御三家」でした。紀州藩主から抜擢された8代吉宗が見事に幕政を立て直したことで、血統の危機は回避されます。
その後、吉宗の血統を中心に田安・一ツ橋・清水の「御三卿」が創設され、養子縁組のネットワークが幾重にも張り巡らされました。そして大政奉還を決断した15代慶喜は、家康の十一男・徳川頼房を祖とする水戸徳川家の出身です。明治維新という未曾有の国家転換期を迎え、江戸幕府が終焉を迎えた後も、徳川の家督は途絶えることなく継承されました。田安徳川家から宗家を継いだ16代家達(いえさと)、17代家正、18代恒孝(つねなり)、そして2026年現在、公益財団法人徳川記念財団の理事長を務める第19代当主・徳川家広(いえひろ)氏へと、その精神と歴史遺産は脈々と受け継がれています。