山谷えり子氏の歩みは、永田町でも極めてユニークな軌跡を描いています。聖心女子大学文学部を卒業後、産経リビング新聞社の編集長や『サンケイ・リビング』での取材活動を経て、テレビ番組のキャスターやエッセイストとして広く大衆に知られる存在となりました。
政界入りの契機となったのは、2000年の第42回衆議院議員総選挙です。当時の民主党から立候補して初当選を果たしたものの、党内の国家観や教育観の対立から離党。保守新党を経て自民党へと合流し、2004年に参議院へ鞍替え出馬して当選を重ねてきました。
山谷氏の政治キャリアにおける最大のハイライトは、拉致問題担当大臣および内閣府特命担当大臣(防災担当)、国家公安委員会委員長への就任です。特に北朝鮮による日本人拉致問題に対しては、議員連盟の立ち上げ期から関わり続け、家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)や救う会と密接に連携してきました。
当時の閣僚記者会見や手記において、山谷氏は「拉致問題の解決なくして我が国の主権の回復はない」と断言。国際社会への訴求活動や対北朝鮮制裁の強化を主導し、現場主義を貫く姿勢は関係者から高く評価されました。