稲川裕紘氏の生涯を語るうえで避けて通れないのが、実子である稲川英希氏の存在です。裕紘氏には息子がおり、祖父・聖城、父・裕紘に続く「稲川家三代目の直系」として、将来を嘱望されていました。家系図の上でも、英希氏は組織の正統な後継候補として育てられていきます。
英希氏は大学を卒業した後に渡世入りし、三代目山川一家若頭や初代稲川一家総長といった要職を務めました。しかし、父である裕紘氏が存命のうちは英希氏の実力や立場を支える強固な防壁が存在していましたが、裕紘氏が2005年に急死したことで、そのパワーバランスは根底から崩壊することになります。
「創業家の血統を守るべきだ」とする長老派や英希擁立派と、「武闘派・実力派を中心に組織を再編すべきだ」とする主流派(山川一家や京葉七熊一家を中心とする勢力)との間で、修復不可能な溝が生じていきました。父親である裕紘氏が抱いていた「息子の将来への配慮」は、皮肉にも自らの早すぎる死によって、最大の火種へと変貌してしまったのです。