言葉の浸透度において、大蔵大臣ほど一般家庭にユニークな形で定着した役職はありません。昭和から平成にかけて、家計の管理を一手に握る母親や主婦を指して「うちの大蔵大臣」と呼ぶ表現が広く使われました。
この俗称の背景には、「稼いでくる父親(首相や営業部)よりも、財布の紐を握り小遣いの額を厳格に査定する母親(大蔵大臣)の方が家庭内の実権を持っている」という、当時の日本社会におけるパワーバランスへの諧謔と敬意が込められていました。現在では共働き世帯の増加や夫婦別財布化、さらには「大蔵省」自体の消滅によって死語となりつつありますが、かつての大蔵省が一般市民にとってどれほど「財布を握る逆らえない存在」としてイメージされていたかを如実に物語っています。
一方で、よくある誤解として「大蔵大臣は官僚の操り人形だったのか、それとも官僚を従える支配者だったのか」という議論があります。
ネット上の言説などでは「東大法学部卒のエリートキャリア官僚が実質的に日本を動かしており、大蔵大臣は単なるお飾りだった」と語られがちです。しかし実際の省内記録や歴代大臣の回顧録を検証すると、現実ははるかに複雑でした。主計局(予算)や主税局(税金)、銀行局(金融)はそれぞれ異なる省内論理で動いており、局同士の利害対立を最終的に裁定できたのは、政治的責任を負う大臣の政治力だけだったのです。大臣が強力なリーダーシップを持たない場合、省内のタコツボ化が進んで統制が利かなくなる――この構造病理こそが、90年代の不祥事へとつながる土壌でした。