紀尾井坂の変を語る上で絶対に切り離せないのが、事件の前年(1877年)に起きた西南戦争と西郷隆盛の存在です。
明治六年政変で征韓論をめぐり対立した大久保と西郷は、幼少期からの無二の親友でありながら袂を分かちました。西南戦争で西郷が城山に散った際、大久保は自邸で号泣し、取り乱しながら西郷からの古い書簡を読み返していたという側近の証言が残っています。しかし世間、とりわけ反政府感情を抱く士族たちにとって、大久保は「親友を死に追いやった冷徹無情な独裁者」と映りました。
島田一郎らはもともと西南戦争に呼応して挙兵する計画を立てていましたが、西郷軍の敗北により計画は頓挫。武力反乱による政府打倒が不可能となったことで、島田らの矛先は「大久保個人の殺害」へと純化していきました。西郷という精神的支柱を失った士族たちの絶望と怒りが、大久保一人へと集中したことがこの暗殺の最大の悲劇でした。