中学を卒業した息子が進学先として選んだのは、佐々木洋監督率いる花巻東高等学校だった。親元を離れ、寮生活へと身を投じる決断を下したとき、徹氏は一切の口出しをせず、その背中を静かに見送ったという。
中学時代まで二人三脚で歩んできた指導者としての立場から、一歩引いた「一人の保護者」への移行。それは容易なことではない。しかし、徹氏は自分の手元で育て続ける限界を誰よりも冷静に理解していた。他者の指導を受け入れ、異なる環境で揉まれることこそが、さらなるスケールアップに不可欠だと直感していたのだ。
この健全な「親離れ・子離れ」のプロセスがあったからこそ、高校時代にあの有名な目標達成シートを自ら書き上げ、自走できるトップアスリートへと進化を遂げることができた。