ファンやメディアの間で長年語り継がれている疑問が、大谷翔平が甲子園で優勝を逃した理由です。2012年夏の岩手大会準決勝・一関学院戦において、アマチュア野球史上初となる高校最速160km/hを叩き出しながら、なぜ花巻東は甲子園の頂点に届かなかったのか。そこには3つの決定的な背景が存在しました。
1. 成長痛と骨端線損傷による度重なる投球制限
大谷選手は高校入学時から身長が急激に伸びており、骨の成長に筋肉や靭帯が追いつかない「骨端線損傷(成長期特有の障害)」や右太ももの肉離れを抱えていました。2年秋から冬にかけては長期間のノースロー調整を余儀なくされ、投手としての本格的な投げ込みや実戦経験が同世代の投手に比べて大幅に不足していたのです。
2. 岩手大会決勝でのアクシデントと物議を醸した判定
3年夏の岩手大会決勝・盛岡大附戦。甲子園切符を懸けた大一番で、大谷選手は序盤から粘投を続けていました。しかし3回裏、相手打者が放ったレフトポール際への大飛球が「本塁打」と判定され、3点を先制されます。テレビ中継の映像ではポールの外側を通過したようにも見え、スタンドやネット上で物議を醸す判定となりましたが、判定は覆らず、最終的に3-5で敗れ去りました。
3. トーナメント特有の「エース頼み」を避けたチーム戦略
当時の高校野球はエースが全試合を完投するスタイルが主流でした。しかし花巻東高校は、大谷選手の将来と身体の安全を最優先にし、無理な連投やスクランブル登板を徹底して避けました。この「選手ファースト」の起用法が、短期決戦における勝敗の分かれ目となったことは間違いありません。