Q1:なぜ平城京は藤原京からわずか16年ほどで遷都されたのですか?
A1:藤原京は平城京より広大でしたが、宮殿(藤原宮)が都の中央に位置する古い中国思想(周礼)に基づいて設計されており、身分秩序や宮殿拡張の面で使いにくさがありました。また、大宝律令(701年)の完成を経て、最新の唐・長安の都市デザインに合致したより機能的で権威ある新都を建設し、律令国家の完成を国内外に宣言する必要があったためです。
Q2:平城京の碁盤の目の中で、庶民はどのような場所に住んでいたのですか?
A2:平城宮に近い北側や朱雀大路沿いには皇族や上級貴族の広大な邸宅が配置され、庶民や下級官人は都の南部や東側の外京、あるいは大路から奥に入った「小路(こうじ)」沿いの狭小な区画(坪)に長屋などを建てて暮らしていました。
Q3:平城京の碁盤の目は現在の京都(平安京)の街並みとどう違うのですか?
A3:京都は平安京遷都以来、現在に至るまで1000年以上にわたり大都市として市街地が連続して発展したため、碁盤の目のグリッドがビル街や商店街としてそのまま重層的に機能しています。一方の奈良(平城京)は、都が去った後に多くが農地や寺社地に戻ったため、田畑の境界や主要地方道、歴史公園として原地形に近い状態で古代の遺構が残されている点に大きな違いがあります。