テレビ番組のインタビューや過去の手記において、赤楚衛二さんは幼少期の家庭環境について興味深い証言を残しています。
言語学者である父・治之氏の教育方針は、非常に規律正しく熱心なものでした。小学生時代には「月に最低1冊の本を読破し、その要約や感想を父親にプレゼンする」という課題が課されていたといいます。また、自宅の勉強部屋に閉じこもるのではなく、リビングで家族の気配を感じながら学習するスタイルが徹底されていました。
テストで芳しくない結果を取った際には厳しく叱責される場面もあり、赤楚衛二さんは当時「厳しい父親」という印象を強く持っていたと振り返っています。しかし、この論理的思考力や語彙力を鍛える習慣が、後の台本読解や役柄への深いアプローチに直結していることは間違いありません。
一方で、息子の人生の岐路において、父親は驚くべき度量の広さを見せました。赤楚衛二さんは東邦高等学校を卒業後、父が教授を務める名古屋学院大学外国語学部に進学。しかし、芸能活動への情熱が抑えきれなくなり、大学中退と上京を決意します。
学問の道を歩ませたかったはずの父親に対し、覚悟を決めて直談判した際、父・治之氏は感情的に反対することなく、「自分でやりたいことを見つけたのなら、責任を持って最後までやりきりなさい」と静かに背中を押しました。この寛容な決断が、現在の俳優・赤楚衛二を誕生させる決定打となったのです。