仏教の根幹をなす思想に「無我(むが)」があります。これは、あらゆる物事は常に移り変わり(諸行無常)、固定不変の実体や「私」と呼べる永遠の魂(アートマン)は存在しないという洞察です。
ここで多くの人が直面するのが、「魂が存在しないのであれば、一体何が輪廻転生するのか」という論理的なパラドックスです。一般的な輪廻のイメージは、「魂という乗り手が、古い服(肉体)を脱ぎ捨てて新しい服に着替える」ような移動を連想させます。しかし、ブッダの説く無我の立場では、そのような固定的な主体を認めません。
初期仏教において輪廻は、実体としての魂の移動ではなく、「行為(カルマ・業)と因果の連続性」として説明されます。
よく用いられるのが「ロウソクの火」の比喩です。1本目のロウソクの炎を2本目のロウソクに移したとき、2本目の火は1本目の火そのものではありませんが、1本目の火を原因として燃え上がっています。火という実体が移動したのではなく、「燃えるというエネルギーの作用」が連続して伝わった状態です。
人間の生と死も同様に捉えられます。執着や欲望を伴う日々の思考や行動(カルマ)のエネルギーが、因果律に従って次の瞬間、そして次の生へと作用を及ぼし続ける現象そのものを輪廻と呼びました。「不滅の魂があるから来世へ行く」のではなく、「消えることのないエネルギーの流れが次の現象を紡ぎ出す」という極めて動的でドライな世界観が、本来の仏教における輪廻の真相です。