今や日本を代表する演技派として名高い彼女ですが、その歩みは決して順風満帆なエリートコースではありませんでした。活動初期には「南波瑠」名義で、若者向け雑誌のファッションモデルを務めつつ、演技の世界を志してがむしゃらにオーディションを受け続ける日々を送っていました。
長年背中を押したホリエージェンシー所属時代、実に100回を超えるオーディションで不合格を突きつけられた歴史は、彼女の不屈の精神を物語る有名なエピソードです。セリフがひとつもない脇役や、わずか数秒の露出であっても現場に足を運び続けた執念が、どんな役柄にも実在感を与える底力となりました。