日本の人口統計史を振り返った際、突如として断崖絶壁のような窪みを見せるのが1966年(昭和41年)の出生データです。厚生労働省の人口動態統計によると、前年の1965年には約182万3,000人だった出生数が、1966年には一気に約136万1,000人へと急落しました。わずか1年で約46万人もの命が「避けられた」計算になります。
翌1967年には約193万6,000人へと激増して反発している事実からも、この落ち込みが景気後退や戦争などの外的要因ではなく、純粋に「丙午の年に子どもを産むことを避けた」結果であったことが裏付けられます。合計特殊出生率も1.58まで落ち込み、この数値は1989年のいわゆる「1.57ショック」が起きるまで、戦後日本の最低記録として長く君臨し続けました。
当時の報道記録や産婦人科医の手記には、背筋の凍るような現場の証言が残されています。「男児なら構わないが、もし女の子が生まれたら将来結婚できずに一生苦労する」「親戚中から『今年だけは絶対に避妊してくれ』と頭を下げられた」といった切実な声が家族会議で日常的に飛び交っていました。結果として、計画的な受胎調節(避妊)のみならず、人工妊娠中絶の件数も前後に比べて跳ね上がったのです。科学と経済が飛躍的な発展を遂げていた昭和40年代の日本社会において、家父長制的な世間体がいかに強固な呪縛力を持っていたかを如実に物語っています。