1944年6月15日、米軍がサイパン島へ上陸を開始したことで、太平洋戦争屈指の激戦となったサイパンの戦いの火蓋が切られました。当時、サイパン島にはサトウキビ産業などに従事していた約2万人以上の日本人民間人が暮らしており、前線基地でありながら多数の家族や女性、子どもが生活する島でもありました。
日本軍の防衛線が崩壊するにつれ、逃げ場を失った軍人と民間人は島の北端へと追いつめられていきました。食糧も水も尽き、激しい砲爆撃に晒されるなかで、北部の洞窟やジャングルに潜んでいた人々が最終的に辿り着いたのが、島北端に位置するマッピー岬(現地名:プンタン・サバネタ)の断崖絶壁でした。
組織的抵抗が終わりを迎えた7月上旬、追い詰められた人々によるサイパン島での集団自決が多発しました。高さ約30メートルにおよぶ荒波が打ち寄せる岩壁から、将兵のみならず無数の一般市民が次々と身を投げ、海を赤く染める未曾有の惨劇が繰り広げられたのです。