東大を卒業した香川照之が選んだのは、奇しくも父と同じ表現者の道でした。1989年、NHK大河ドラマ『春日局』で俳優デビューを果たした照之は、長年断絶していた実父・市川猿翁の楽屋を突如訪ねます。役者としての第一歩を踏み出した報告と、生き別れた父への思慕を胸に抱いての対面でした。
しかし、そこで浴びせられたのは、世間に大きな衝撃を与えたあまりにも冷淡な拒絶の言葉でした。
「大事な公演の前に訪ねてくるなど、役者としての配慮が足りない。今の私にはあなたを息子と認める資格もなければ、その時間もない。あなたは私の息子ではありません」
この非情な絶縁宣告は、若き日の香川照之の心に深い傷を残すとともに、「父を見返す」という強烈な反骨心の原動力となります。その後、香川は徹底したリアリズムと怪演で日本アカデミー賞をはじめとする数々の映画賞を総なめにし、日本屈指の実力派バイプレーヤーへと登り詰めました。
この冷戦状態が雪解けを迎えたのは、事件から20年以上が経過した2011年のことです。猿翁の脳梗塞発症や藤間紫の死去などを経て、老境に入った父と円熟期を迎えた息子は、長い歳月を経てついに和解へと至りました。