これほど卓越した危機察知能力と剣術の腕前を持ちながら、なぜ慶応3年(1867年)11月15日、京都の近江屋で命を落とすことになったのか。この「近江屋事件」の状況分析からも、当時の龍馬のコンディションと敵の周到さが浮かび上がります。
襲撃を実行したのは、京都見廻組頭の佐々木只三郎ら精鋭部隊でした。襲撃時、龍馬は風邪を引いて長火鉢で暖を取っており、刀を床の間に置いた完全に無防備な状態でした。さらに、狭い2階の室内という悪条件が重なり、最初の一刀で額を深く斬りつけられたとされています。
不意を突かれた龍馬は、とっさに床の間の脇差を鞘(さや)ごと取って敵の刃を受け止めましたが、相手の渾身の斬撃は鞘を削り、頭蓋骨にまで達しました。どれほどの一流剣士であっても、「抜刀不能な密室での不意打ち」と「複数人の刺客による同時強襲」の前には太刀打ちできなかったのが現実であり、この悲劇をもって龍馬の剣技が否定される筋合いのものではありません。