バッハが後半生を過ごし、数々の傑作を世に送った場所がライプツィヒ聖トーマス教会である。ここで彼は音楽監督として、聖歌隊の育成から毎週末の礼拝用楽曲の作曲まで苛烈な業務をこなしていた。不朽の名作『マタイ受難曲』も、こうした過酷な職場環境と市当局との果てしない軋轢の中で生み出された。
教会の運営側は彼を「気難しく扱いづらい職人」とみなすことも多く、予算の削減や体制の制限をめぐって頻繁に衝突が起きた。しかし、周囲との摩擦を恐れずに自らの芸術的信念を押し通したからこそ、時を超えて人類の心を揺さぶる巨編が完成したのだ。