「泳ぎ続けろ」というストレートな命令形。一見すると前向きな努力を讃えるエールのように聞こえる。だが、行間を丹念に追うと、まったく異なる風景が立ち現れてくる。作詞を手掛けた稲葉浩志が描いたのは、称賛すべきヒーローの姿ではない。水中で必死に手足をバタつかせながら、自らのエゴや他者との不毛な比較に囚われる人間の愚かしさだ。水泳というスポーツのメタファーを用いながら、現実世界の過酷な競争社会をグロテスクなまでに浮き彫りにしている。
当時の制作現場を知る関係者は語る。デモテープの段階では、よりダンサブルで軽快なポップスとしての側面が強調されていたという。しかし、稲葉が持ち込んだ言葉の束は、そのトラックに鋭い毒と批評性を注入した。「ただのゴキゲンな曲にはしない」。その強い意図が、一聴しただけでは気づかないダブルミーニングや歪んだユーモアとなって盤面に刻み込まれた。プールサイドの光景に見せかけた、現代社会の欲望の坩堝。この楽曲が持つ真の恐ろしさは、快楽的なリズムに身を任せているうちに、聞き手自身がその「愚かな泳者」として鏡に映し出される構造にある。