安井金比羅宮にまつわる噂の筆頭に挙げられるのが、「願った通りの結果にはなるが、そのプロセスが荒療治すぎる」という点です。インターネット上の掲示板やSNSでは、「不倫相手と別れさせたいと願ったら相手が急な左遷で遠方へ飛ばされた」「苦手な上司の退職を祈願したら、自分が会社都合で部署異動になった」といった生々しい悪縁切り体験談が数多く投稿されています。こうした体験談が一人歩きし、「安井金比羅宮は怖い」という強烈なパブリックイメージを形成しています。
この強烈な信仰の源流は、主祭神として祀られている崇徳(すとく)天皇の非運の歴史にあります。平安時代末期、保元の乱に敗れた崇徳上皇は讃岐国(現在の香川県)へ配流の憂き目に遭いました。上皇は配流先で血書をもって仏道に帰依し、一切の欲や未練を断ち切って讃岐の金刀比羅宮に籠もられたと伝えられています。この「自らの境遇を呪いながらも、あらゆる執着を絶ち切った」という悲劇の歴史が、あらゆる悪縁を断ち切るご利益の根拠となっています。
神仏習合の歴史を紐解くと、応仁の乱(1467〜1477年)の兵火で荒廃した観勝寺の跡地へ、元禄8年(1695年)に太秦安井から蓮華光院が移建されました。その際、鎮守として崇徳天皇に加え、讃岐金刀比羅宮より勧請した大物主神(おおものぬしのかみ)と、源頼政公が合祀されたことで「安井の金比羅さん」として庶民の信仰を集めるようになりました。大物主神は古来より国造りや医薬、商売繁盛の神として知られますが、崇徳天皇の強烈な断絶の祈りと融合したことで、他に類を見ない徹底的な悪縁切り神社として昇華されたのです。