外務省の廊下を歩く晋太郎の足取りは、晩年に近づくにつれて凄みを増していった。特に彼の政治人生の集大成となったのが、ソ連(現ロシア)との平和条約締結に向けた交渉である。ゴルバチョフ書記長との首脳会談を重ね、北方領土問題の打開に向けて全身全霊を捧げた姿は、今なお外交関係者の間で語り草となっている。
当時、病魔が確実に彼の体を蝕んでいた。激痛に耐えながら点滴を打ち、主治医の制止を振り切ってまで外遊へと向かった情熱。それは単なる名誉欲ではなく、「自分が生きているうちに日ソ関係の決着をつける」という狂おしいほどの使命感によるものだった。中東紛争の仲裁やイラン・イラク戦争の停戦工作においても、日本の独自のパイプを活かして直接対話に挑み続けた。
病状が悪化し、力尽きる直前まで外交の最前線に立ち続けた男の生き様。志半ばで倒れたその執念は、外務省の官僚たちに「対話による平和」の重要性を深く深く刻み込むこととなった。