除名後の寺尾五郎は、親中・親朝派の小規模な政治組織「日本共産党(左派)」系の活動に関わり続けました。日朝友好運動の枠組みの中で北朝鮮を礼賛する著作を発表し続けましたが、自らが後押しした帰国事業の犠牲者たちに対して公に謝罪や検証を行うことはなく、1999年に84歳で死去しました。
日本国内では、脱北して日本へ戻ることができた元帰国者やその遺族たちが、北朝鮮政府に対して損害賠償を求める訴訟を起こすなど、帰国事業の不正義を告発する動きが続いています。裁判の過程でも、当時の宣伝活動がいかに人々の人生を奪ったかが克明に証言されています。
『38度線の北』を巡る一連の経緯は、情報統制国家が仕掛けるプロパガンダの恐ろしさと、現地取材のファクトチェックを怠った言論の重い責任を、現代を生きる私たちに突きつけ続けています。