厩戸皇子と聖徳太子の違いとは?教科書改訂の真相と実在説を徹底解明

厩戸皇子と聖徳太子の違いとは?教科書改訂の真相と実在説を徹底解明

厩戸皇子と聖徳太子の違いとは?教科書改訂の真相と実在説を徹底解明についての疑問解決ガイドをお届けします。

用明天皇の第二皇子として574年に生を受けた厩戸皇子の生涯は、古代豪族間の熾烈な権力闘争のただ中にありました。母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が馬小屋の前で出産したという「厩戸」の由来は、キリスト生誕伝承との類似性もしばしば指摘されますが、有力豪族・物部氏と蘇我氏による丁未の乱(仏教受容をめぐる内戦)を生き抜き、若くして頭角を現します。

592年に崇峻天皇が暗殺されるという前代未聞の暗黒事件を受け、日本初の女性君主である推古天皇が即位。593年、若干20歳前後の厩戸皇子は皇太子となり、叔父にあたる大豪族・蘇我馬子とともに国政を司る立場に就きました。

晩年の皇子は、都のあった飛鳥からやや離れた斑鳩(いかるが)の地に宮殿(斑鳩宮)を営み、政治の第一線から一歩退きつつ仏教研究と国家の精神的支柱づくりに没頭。622年、妃の膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が病に倒れると、後を追うように49歳の若さでこの世を去りました。

池田 達也
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池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。