久留米のツツジが世界ブランド「アザレア」として飛躍する決定的な転機は、1918年(大正7年)に訪れた。ハーバード大学アーノルド植物園のプラントハンター、アーネスト・ヘンリー・ウィルソン(Ernest Henry Wilson)博士が久留米を訪問した時のことである。
赤星農園を訪れたウィルソンは、見渡す限りのツツジの美しさに衝撃を受けた。彼は後に「これほど壮大で魅惑的な植物のディスプレイは世界中どこにもない」と手記に記している。
ウィルソンは特に優れた50の品種を選抜し、アメリカへ移送した。これらは園芸界で「ウィルソンズ・フィフティ(Wilson's Fifty)」と称され、ボストンやヨーロッパの植物園で大反響を呼んだ。この移植により、久留米ツツジの遺伝子は西洋アザレアの品種改良に組み込まれ、グローバルな花卉産業の基盤となったのである。