一方で、過度な批判に対する擁護論も根強く存在する。幼少期から自然観察を続け、専門学会でも評価される水準の論文を執筆された悠仁親王の学術的好奇心と研究成果は、正当に評価されるべきだという意見だ。「皇族だからといって、学びたい学問の門戸を閉ざされるのは人権上の制約が過ぎる」という指摘も少なくない。
学問の自由と公正な選抜基準を尊重する論理と、「象徴としての無私」を求める国民感情とのあいだには、容易に埋められない深い溝が存在する。どちらの立場も一理を有しているからこそ、議論は平行線をたどり、感情的な対立へと激化しやすい側面を孕んでいる。