2012年8月20日午後、シリア第2の都市アレッポのスレイマン・アル・ハラビ地区。反体制派「自由シリア軍」の支配地域に入り、戦火に怯えながら暮らす一般市民や子どもたちの姿をカメラに収めていた山本美香氏の取材班は、突如として死の罠に呑み込まれました。当時、行動を共にしていた独立系映像通信社ジャパンプレスの代表であり、公私にわたるパートナーでもあった佐藤和孝氏の証言によって、その凄惨な一部始終が明らかになっています。
小路を歩いていた取材班の前に突如現れたのは、迷彩服にヘルメット、防弾ベストを装着した約10名前後の武装集団でした。距離はわずか数十メートル。佐藤氏が「伏せろ!」と叫ぶ間もなく、兵士の銃口が一斉に火を噴きました。放たれたのは単発の威嚇射撃ではなく、機関銃による猛烈なフルオート掃射でした。佐藤氏は路地の右側へ身を投げ出し、山本氏は左側の建物の陰へと退避を試みましたが、この一瞬の分断が生死を分かつことになります。
「銃声と砂煙が立ち込める中、彼女の名を何度も叫んだが返事はなかった」。佐藤氏が後に記者会見や手記で語った言葉には、現場の張り詰めた恐怖と無念が滲み出ています。銃撃が止んだ直後、路上に倒れていた山本氏は既に意識を失っており、胸部や首から激しく出血していました。現地の反体制派兵士によって急遽トルコ国境近くの病院へ搬送されたものの、到着時には既に心肺停止状態であり、帰らぬ人となりました。
後の司法解剖および外務省・警察当局の検視結果によると、死因の詳細は「頸部(首)への銃創による失血死および頸髄・気道損傷」と判明しています。至近距離から放たれた銃弾は防弾チョッキで覆われていない急所を直撃しており、体内に散乱した弾片が致命傷となりました。遺品となったビデオカメラには、銃撃を受ける直前まで日常を生きる市民の表情を静かに追い続けた映像が遺されており、プロフェッショナルとしての覚悟が最期の1フレームまで刻まれていました。