ルーキーイヤーの登板数は実に69試合、投球回数は429回3分の1。新人のシーズン記録としては異次元の35勝をマークした。雨で試合が流れた日だけが唯一の休息。翌日には再び先発し、時にリリーフとして腕を振る。昭和のプロ野球界が熱狂したその光景は、同時に一人の投手の選手生命を削る過酷な日々の始まりでもあった。
酷使の代償は早すぎる肩の故障となって跳ね返ってきた。実働年数は決して長くはなかったが、この痛恨の経験こそが指導者・権藤の原点となる。「肩は消耗品である」「投げすぎたら壊れる」。自らの肉体で味わった激痛と悔しさを糧に、彼は日本の球界で誰よりも早く「投手を守りながら勝つシステム」を模索し始めたのだ。