1951年9月、サンフランシスコで署名された平和条約の第2条b項には、「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対する一切の権利、権原及び請求権を放棄する」とだけ記されている。受け取り手の国名は、どこにも存在しない。
冷戦の足音が聞こえ始めていた当時、連合国側の思惑は複雑に交錯していた。中国大陸を支配した中華人民共和国(北京)と、台湾へ逃れた中華民国(台北)のどちらを正統な政府と認めるか。米英の意見は割れ、最終的に「移転先を明記しない」という外交的決断が下された。
この「領有権の宙吊り」こそが、のちに「台湾未定論」と呼ばれる国際法上の議論の原点となった。70年以上の時を経た2026年の現在も、この空白が政治的文脈によって様々に解釈し直されている。