ネット上の情報やSNSの言説を検証すると、山本早苗に関しては実態と乖離したいくつかの誤解が見受けられます。
第一の誤解は、「山本早苗は女性だったのではないか?」という名前先行の憶測です。前述の通り本名は戸次善之助であり、風貌も口髭をたくわえた堂々たる男性映画人でした。「早苗」という雅号の由来には諸説ありますが、画学生時代に親しんだ文芸的な名乗りを引き継いだものとされています。当時の映画界では男性が女性的な響きを持つ雅号を用いる例は珍しくありませんでした。
第二の誤解は、「戦後は経営側の人間となり、現場のクリエイターを管理・抑圧したのではないか」という官僚的イメージです。しかし、当時の一次証言を丹念に拾うと、事実は正反対であったことが分かります。
名アニメーターとして東映動画の黄金期を支えた大塚康生は、自著『作画汗まみれ』や各種回想録の中で、山本早苗を「山本のおやじさん」と呼び、深い敬愛を寄せていました。大川社長をはじめとする映画会社の冷徹な経営陣が「金ばかりかかって回収が遅い」とアニメーターにプレッシャーをかける中、山本は常に矢面に立ち、制作現場の職人たちを守る頑丈な「防波堤」として機能していました。
「アニメーション制作には時間と金がかかる。絵描きの矜持を潰しては、良い作品など絶対に生まれない」。経営会議でそう啖呵を切り、若手たちの熱意を信じて環境を整え続けた山本早苗の人間味こそが、森康二、大塚康生、そして彼らに薫陶を受けた高畑勲や宮崎駿といった後世の世界的巨匠たちが羽ばたく土壌を整えたのです。