料理の現場で長年語り継がれてきた「塩を入れると沸点が上がるから早く茹で上がる」という説は、物理化学の視点で見ると誤解に近い事実が判明しています。水に塩(塩化ナトリウム)を溶かすと沸点上昇という現象が起きるのは確かですが、お湯1リットルに対して10gの塩を加えた場合の上昇幅はわずか約0.17℃にすぎません。
100℃が100.17℃になったところで、茹で時間や熱の通り方に生じる差は人間の感覚では認識できないレベルです。では、なぜイタリアのマンマやトップシェフたちは惜しみなく大量の塩を使うのでしょうか。そこには味覚と食感を劇的に向上させる2つの科学的理由が存在します。
最大の目的は下味をつける理由そのものにあります。乾燥パスタは吸水しながら膨張するため、塩水で茹でることで麺の中心部まで均一に塩分が浸透します。後からソースを絡めるだけでは麺の芯が無味のまま残り、ソースの味付けを濃くしても全体の調和が崩れてしまいます。
もうひとつの理由は麺のコシとグルテンの関係です。パスタの主原料であるデュラムセモリナ粉のタンパク質(グルテニンとグリアジン)は、塩分と結合することで網目構造を強固に引き締めます。この働きにより、麺表面からデンプンが過剰に湯中へ流出するのを防ぎ、適度な弾力と歯ごたえのある「アルデンテ」を生み出す土台が整うのです。