だが、その超人的な強さを支えていた土台は、現代のコンプライアンス感覚では到底理解し得ない苛烈な生活環境だった。選手たちが3年間を過ごす「研志寮」は、外部から完全に遮断された特殊空間。そこで敷かれていたのが、下級生が上級生の身の回りの世話を担う「付き人制度」である。
1年生は朝の掃除から洗濯、夜食の準備に至るまで、先輩の一挙手一投足を支えなければならなかった。私語は厳禁、笑顔を見せることも許されず、食事中も咀嚼音を立てないよう細心の注意を払う。立浪和義をはじめとする名選手たちも、のちに「高校時代には二度と戻りたくない」「プロのキャンプよりPLの1年生のほうが遥かに過酷だった」と述懐している。
規律の維持はやがて理不尽な上下関係へと変質し、密室での暴力問題へと発展した。日本高等学校野球連盟から度重なる対外試合禁止処分を受けるなど、不祥事が表面化。時代の価値観が「理不尽な根性論」から「人権と健全な育成」へとシフトする中で、PL学園の伝統は時代の要請と激しく衝突していった。