坂本龍馬の強さは本物か?免許皆伝の真相と戦闘力を徹底解剖

坂本龍馬の強さは本物か?免許皆伝の真相と戦闘力を徹底解剖

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坂本龍馬の実戦経験の中で、その戦闘能力と危機管理の判断速度が最も鮮明に証明されたのが、慶応2年(1866年)1月の「寺田屋事件」です。

薩長同盟の締結直後、京都伏見の船宿・寺田屋で休息していた龍馬と長府藩士・三吉慎蔵は、伏見奉行所の捕手約30名に完全包囲されました。深夜、踏み込んできた敵に対し、三吉が槍で応戦するなか、龍馬は枕元に置いていたスミス&ウェッソンを即座に構えて連射。暗闇の廊下で敵の指揮官クラス2名を射殺・重傷を負わせ、包囲網に大混乱を巻き起こしました。

弾切れを起こし、槍で突かれた刀の鞘越しに左手の親指の腱を深く斬り裂かれる重傷を負いながらも、龍馬は屋根伝いに脱出を敢行。追手を撒いて材木小屋へ潜伏し、お龍の急報によって駆けつけた薩摩藩邸の救援部隊に無事救出されました。多勢に無勢の絶対絶命の奇襲から生還したこの戦いは、龍馬の反射神経と冷静な状況判断力が極限状態でも機能していた決定的な証拠です。

一方、慶応3年(1867年)11月15日、京都の醤油商・近江屋で迎えた最期(近江屋事件)は、あまりにも無防備な状況でした。大政奉還を成し遂げ、新政府の構想を練る多忙を極めていた龍馬は、風邪を患い母屋奥の2階八畳間に潜伏していました。

襲撃したのは、幕府直属の治安維持部隊である京都見回り組(佐々木只三郎、今井信郎、渡辺篤ら)の精鋭抜刀隊です。暗殺の主たる動機は、寺田屋で幕府役人を射殺した重罪人としての公的制裁、および倒幕のフィクサーとなっていた龍馬の政治的影響力を絶つことでした。

不意を突かれた龍馬は帯刀しておらず、背後の床の間にあった陸奥守吉行を取るのが精一杯でした。鞘に入ったまま初撃を防ぎましたが、敵の刃は鞘を削り抜いて龍馬の前額部を深々と斬り裂き、反撃の暇もなく命を落としました。どれほどの実力者であっても、狭隘な閉鎖空間での完全な不意打ちを防ぐことは不可能だったのです。

池田 達也
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池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。