明治初期の狂乱が残した傷跡は、令和の現在にも色濃く刻まれています。全国で破壊された仏像は数百万体とも推計され、燃やされた古文書や経典は歴史の空白を生み出しました。破壊を恐れた寺院から安値で買い叩かれた貴重な国宝級美術品が、大量に海外の美術館やコレクターへ流出したのもこの時期です。
一方で、この未曾有の危機は日本の文化財行政にとって決定的な転換点となりました。来日したアメリカ人哲学者アーネスト・フェノロサやその弟子・岡倉天心らは、打ち捨てられた日本美術の崇高な価値を再発見し、保存の必要性を痛烈に訴えました。この動きが契機となり、1897年(明治30年)の「古社寺保存法」、ひいては現在の「文化財保護法」の制定へと繋がっていきます。
現在の私たちが「神社では柏手を打ち、寺院では静かに手を合わせる」という明確な区別を当然と感じているのも、廃仏毀釈による徹底した神仏分離が定着した結果です。風景としての神社と寺院の分離は、わずか百数十年前の激動が生み出した人工的な遺産でもあります。