荒木村重の正室、あるいは継室として知られる「だし」は、摂津国の有力国人であった塩川国満(川西市・塩川城主)の娘と伝えられています。伊丹親興の娘など諸説が存在するものの、当時の政略結婚の慣例に違わず、領主間の強固な同盟関係を結ぶために荒木家に嫁ぎました。
彼女の存在を歴史上際立たせているのが、織田信長の側近・太田牛一が記した『信長公記』における破格の描写です。太田牛一は彼女の姿を「きりょう、世にすぐれて美麗なり」「今様楊貴妃」と書き留めています。厳しい戦国の記録において、敵将の妻を古代中国屈指の美女・楊貴妃にたとえて絶賛する記述は極めて異例です。
外見の美しさにとどまらず、教養深く気品に満ち、武家の妻としての高い精神性を備えていたことが、後述する最期の振る舞いからも明白に読み取れます。波乱に満ちた有岡城の奥向きを束ねる存在として、家臣や侍女たちからも深く慕われていました。