ネット上の一部では、「なぜ一代年寄の権利を持っていた鶴竜が、わざわざ早期に音羽山を襲名して独立したのか」「陸奥部屋との間に確執があったのではないか」といった根拠のない憶測が飛び交った時期がありました。しかし、丹念な現場取材を行うと、そうした見方が完全な誤解であることが分かります。
横綱経験者に認められる「現役名での親方(一代年寄資格)」は最長5年間の時限措置に過ぎません。将来的に相撲部屋を持ち、自らの弟子を定年まで育て上げるためには、日本相撲協会に105ある伝統的な年寄名跡を正式に取得することが不可欠でした。鶴竜は当初から「後進の育成に生涯を捧げる」という確固たる理念を持っており、独立に向けた準備を着実に進めていたに過ぎません。
また、日本国籍取得を巡っても、母国モンゴルへの愛着と日本相撲協会への忠誠心の間で葛藤があったと報じられたことがありました。しかし鶴竜本人は、「相撲という文化に人生のすべてを救われた。その恩を返すために日本で生き、日本の伝統を次の世代へ繋ぐ」という揺るぎない覚悟を持って帰化を選択しました。陸奥部屋からの独立についても、先代・陸奥親方の定年退職を見据えた円満な世代交代の一環であり、角界の未来を見据えた極めて建設的な移籍・独立であったというのが実態です。