なぜ「萌え」ではなく「蕩れ」だったのか。その答えは日本語の持つ音韻と漢字の持つグラフィックな側面に隠されている。「萌」が草木が芽吹くような鋭い可動性を持つとすれば、「蕩」は液体が静かに拡がり、境界線を失っていく受容性を表す。文字として見たときの複雑な画数と、「とれ」という脱力感を含んだ和音のギャップが絶妙な緊張感を生み出しているのだ。
二音の軽やかさと、漢字が背負う重厚さ。このアンバランスな組み合わせが、視聴者の耳から脳へと直接浸透する。単なる流行語を作ろうとしたのではなく、感情の不可逆な変化を記述しようとした作者の企みが、ここにはっきりと見て取れる。