1960年代から1970年代にかけて、昭和プロレスは国民的な娯楽として爆発的な熱狂を生み出していた。元プロ野球投手という異色の経歴を持つ馬場は、力道山に見出されて格闘技の世界へ足を踏み入れる。同期のアントニオ猪木とともに日本プロレス協会の看板選手として頭角を現すと、二人は「BI砲」を結成し、日本中のファンを熱狂させた。
その後、自らの理想とするプロレスを追求するために馬場が旗揚げしたのが全日本プロレスだ。ストロングスタイルを標榜した猪木とは対照的に、馬場は明るく楽しく激しいプロレスを掲げ、巨大な体躯から繰り出される16文キックやドロップキックで観客を魅了し続けた。